勝手にれびう

めいんこんてんつ。
「オレが手に入れたものについてくだらないことを熱く語る」というテーマはあるけれども、ネタ不足の際にはどうなることやら、オレにも分からん。

 

 4/18(水)

 今日はなんで今更? というネタだが、別に意味は無い。

 仰天!平成元年の空手チョップ

 オレとしては、説明する必要もないかと思うのだが、世間的にはあまり知られていないかもしれないので、念のため説明しておく。もともとハードカバーで出て、そのあと集英社文庫から出た夢枕獏の小説です。
 内容は「死んだ力道山(日本プロレスの父)が実は冷凍睡眠で生きており、前田日明とガチンコの試合をする」というもの。それだけならなんてことは無かった(あくまでオレは、ね)。力道山は当然リアルタイムで見ていないから思い入れないし、前田日明も別にファンではない。冷凍睡眠ってのも、結構ありふれたネタだし。しかし、重要なのはコレ。「馬場と猪木がその前座で試合う」。とはいえ、正直言うと、これも当時はどうでもよかった。プロレスにはまったのが高校以降のオレは馬場にも猪木にも興味はなく(馬場はもう前座のイメージだったし、猪木はたまに試合するけどしょっぱい試合しかしない、というイメージだった)、ハードカバーでこの本を見つけても、買う気にはならなかった。文庫で見つけたときも「安いから買おうか」という程度のものだった。1回立ち読みで読破してたしね。それなら、何故コレが重要なのか、ということは後で語るとして。
 この本、プロレスファンならニヤリとさせられる場面の多いこと多いこと。オレが特に好きなのは、まだ生きていることを公表していない力道山がUWF(がブームだったのも遥か昔のことだなぁ)の道場に行き、練習している船木を軽く一蹴。「前田日明とガチンコで試合がしたい」と言う場面。このとき相対したのは、かの藤原組長。「そんなこと言うと怪我するぜ」と向かい合い一触即発。しかし「まだ身体が出来ていないから、あんたみたいな怖い人とはできない」と力道山が勝負を止めるのよ。まだ冷凍睡眠から覚めて間もないといえ、この頃、力道山は全日の道場で練習生を負かし、新日の道場ではあの北尾(新日にいたのなんて遥か昔だ)に圧勝している。まぁ、北尾と組長では役者が違うけどさ。それでも、「嗚呼、やっぱり組長ってすげぇ」と思ったものだ。
 そして、もうひとつ。この小説の中で馬場は「裏十六文」なる技があることを公開するのだ。表は誰もが知っているであろう、有名なあの前蹴りだが、「裏」とは? オレは「表」と「裏」がある技が鳥肌が立つくらい好きなのだ。普段使うのは「表」で、それで充分。しかし、どうしようもないとき、もしくは本気になったときのみ使用する「裏」。嗚呼、なんて燃える設定だ。そんな技を、馬場は今までのプロレス人生で1回も出さなかったじゃありませんか(小説なんだから、そんな設定は作者の思うがままだ、という冷めたツッコミは断じて却下)。しかも、この「裏十六文」という技を夢枕獏は決して安売りしない。中盤くらいで存在を明らかにし、一瞬でウイスキーのボトルを切る(割るのではなく切るのよ)蹴りだということは明かすが、その正体が明らかになるのは猪木との試合の中。オレがこの本を買った理由のひとつがこの「裏十六文」であることは間違いない。あ、その正体については説明が面倒なのでパス。各自確かめてちょ。
 さて、裏十六文があるから馬場対猪木が重要なのか、といえば違う。それなら何故、この試合が重要なのか。それはもう二度とできない試合だから。ご存知の通り、ジャイアント馬場は1999年1月31日に帰らぬ人となった。その後にこの本を読むと、生前に読んだときにはなんとも思わなかった場面が、ひどく印象的に感じられた。それは猪木の台詞。「案外、あのリングの上で死ぬのはアントニオ猪木じゃなくて、ジャイアント馬場なんじゃないか」というような台詞。細かい部分は違うかもしれないが、大まかにはこんな感じ。オレは馬場の死後、この部分を読んで、不覚にも涙しそうになった。嗚呼、その通りだったなぁ、としみじみしてしまった。なにやら、この台詞を言った猪木(言わせた獏)をひどく尊敬したものだ。
 当時はどうだったか知らないが、今のオレにとって、この本の主役は力道山ではなく、馬場であり、猪木。この本の解説の人は「この小説の馬場や猪木は、皆がこうであって欲しい、と望む馬場であり、猪木なのだ」と書いている。嗚呼、まさしくその通り。そういう意味では「グラップラー刃牙外伝」もそうなのだが、あっちはオチがついちゃってるからねぇ。嫌いじゃないけど。