勝手にれびう
めいんこんてんつ。
「オレが手に入れたものについてくだらないことを熱く語る」というテーマはあるけれども、ネタ不足の際にはどうなることやら、オレにも分からん。
9/27(金)
思えば遠くに来たもんだ〜。
河井継之助記念館
毒で書いたとおり、本日は県境越えなどしていたわけだが、その理由は此処に行くためなのであった。
河井継之助といえば、幕末歴史フェチには有名なようで、そういう書物やゲームなどには結構名を連ねている。地元(といっても隣の市だけど)のオレのほうが吃驚するくらい。知らない方のために少し説明すると、
幕末の越後長岡藩の家老で、非常に先見の明があり、日本が西軍と東軍に分かれて戊辰戦争をやってる中、「今は日本国内で戦っている場合ではない」と戦争を平和的に終結させるために東西奔走。力無き正義は無力ということで、当時日本に3門しか無かったガトリング砲のうち2門を購入(ちなみに残り1門は西軍の甲鉄艦に搭載)し、長岡藩を武装中立国にしようとしていたのだが、小千谷慈眼寺にて西軍のクソ馬鹿との談判が決裂。かくなる上はと奥羽越列藩同盟を結成して西軍に立ち向かい善戦するも、長岡城が落とされ、継之助自身も負傷し敗退。結局その傷が元で慶応4年8月16日、福島県南会津郡只見町塩沢にて死去。
簡単に言うとこんなもんか(若干主観が入ったけど)。
長岡の郷土博物館にも資料が展示されてるんだけど、あそこは長岡市の歴史を展示しているところなので、当然継之助以外の人物(山本五十六とか誰やねん? って人とか)についての資料の方が多い。その点、こちらは「河井継之助記念館」。おんりーわん。行くしかあるまい。
しかし、非常に辺鄙な場所にあるものだ。建物は非常に立派だが。まぁ、終焉の地に建てたわけで、街中にもってくるわけにもいかんかっただろうけど、オレが行ったときの本日の来館者はオレが一人目であった。受付もしばらくいなかったし。
誰もいないということで、のんびりのびのびと見てまわれた。とは言っても、見るべきものはそんなには無いが。
とりあえず、入ってすぐにある河井くんの銅像と2階のガトは押さえとかないと。ちなみに、館内撮影禁止ですが。あとは長岡での戦いのビデオと会津で河井くんが息を引き取るまでのビデオを視聴可能。必見ですな。ホントかどうかは知らないが、西南戦争の折、かの西郷隆盛に部下が「東北には優秀が人材がいない」と言ったのに対し、隆盛がそれを即座に否定し、「河井継之助。彼は他に得られがたい人物であった。生きていれば今頃は重要な役割を担っていたに違いない」と言ったというくだりに涙しそうになったり。東北じゃねー(怒)。
嗚呼、やはり来てよかった。しかし、コレだけで終わるわけにはいかない。地図によれば、近くに当時の村民が建てた継之助のお墓があるという。コレは行かねば(義務)。途中で犬に吼えられつつも、お墓のある医王寺到着。
合掌。
今度は長岡にあるお墓にもお参りに行ってこよう。
そんなわけで有意義な代休を満喫したわけなのだが、此処に来るまでが一苦労。昔の人はあの峠を歩いて越えてたのかと思うと頭が下がるばかりですわ。